ABOUT ME

サイト管理人

SATO 

 

カンクン在住14年目。

福岡出身

 

カンクンではメキシコの現地旅行会社で就職しツアー遺跡ガイド、それからカンクンに支店のある日本の旅行会社に転職し引き続き空港送迎やツアーガイドを計6年ほど経験し、結婚出産を機に退職しました。

 

私が得た経験、日本人のお客様が欲しいメキシコ・カンクンの情報と、それからカンクンで30年以上観光業で働くメキシコ人夫の知識や経験、それから地元のコネクションを生かし、情報発信や、小さな会社だけど安心して利用できる現地の送迎会社と日本人のお客様をつなげる、「お客様の代わりに日本語からスペイン語で予約をいれる」お手伝いをさせていただいています。

 

 

 

このサイトを通してご利用された皆様がカンクンで安心して車がつかえるように、当日は黒子に徹してサポートしています。

直接お会いする機会はないかと思いますが、心を込めて予約のお手伝いをさせていただきます。

 

 

たくさんの方がカンクンに興味を持って、

そして訪れてもらい、カリブ海で癒され、カンクンが大好きになって、

たくさんの人に「メキシコって素敵だよね♪」と思えるようなお手伝いができますように・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

My Story

私がメキシコに来た理由(わけ)

 

 

 

2009年にメキシコで国際結婚し、メキシコ人の夫を持つ3児の母です。

 

 

私がメキシコに来た理由(わけ)を少し書いてみます。

 

 

幼少期は引っ込み思案のおとなしい子でした。

ついでに言うなら少し太っていて運動が苦手。笑

普通の家庭の普通の子(多分)

しいて言うなら、

子供のころから、世界1周旅行のポスターや某海外ボランティアのポスターを見つけると食い入るように見てる子でした。

 

 大学は地元の芸術学部で陶芸専攻。大学は楽しかったけど、陶芸へは、陶芸家になるほどは特にのめり込めず、心のどこかでやっぱり海外に行きたいと思っていた。

 

就職活動時代にまわりが面接をまわるなか、中学生のころ憧れた某海外ボランティアに就活代わりに試験を受ける。1時試験合格なるも、面接で落とされる。その頃には大学卒業で新卒の一般就職の道も某海外ボランティアに行く道も閉ざされる。

 

まだ諦めきれなかった私は、アルバイトをしながら次の年のボランティア試験を受け(私が希望していたのは年に1回のみ)、また面接で落ちる。

 

 

そこでやっと気づいたのは、あれ?私は人助けや地域活性化するためにボランティアがしたいわけじゃなかったんだ!ということ。

有名ボランティアなら飛行機代も出るし、危険が起きたら帰国させてもらえるし、etc・・・

 

そんな打算でそれを選んでたのに、あたかも「人の役に立ちたい、経験を積みたい」風な言葉を並べて面接に挑んでたのが恥ずかしくなった。

 

私の目的は「人の為じゃなく、自分の為に海外に飛び出したい」ということ。

 

 

自力で行こう

 

 

そう決めた私は、資金を貯めるために、親に「極秘」でアルバイトを1日に3つくらい掛け持ちし、朝6時からカフェ、アパレル、コールセンターをこなしてヘトヘトにって夜遅く家に帰ると、私立大学を出したのに(芸術学部の学費はなかなか高いそうで・・)朝から夜遅くまで遊びほうけてる(ように見える)娘に親は何度も噴火してた。

 

 

だけどその頃の私は、絶対親に反対されると思っていたので、この計画が極秘でしか実行できないと思い、「遊んでない!」と言い張りつつも、「じゃあ一日中何してるわけ?!」という問いには絶対口を割らなかった。

 

 

水面下で進めてきた旅の計画は、中米のグァテマラという(現在住んでいるメキシコのすぐ下の小さな国に3か月のバックパッカーと言われる旅のスタイルを選んだ。

 

今思えば、大げさに思えることも、当時は右も左も分からない手探りの旅の準備だったし、インターネットで情報を調べたりする時代ではまだなかったから地球の歩き方だけが頼りだった。

 

 

グァテマラへ出発する日の1週間前に意を決して「グァテマラに行ってくる」と母に告げると、発狂した。だいたいグァテマラってどこよっ!!!と最もな質問が飛んだ。大喧嘩になり、私も反発しつつも、でもひねくれていた私は、母親が発狂するほどのマイナーな国に自力でこれから行くのかと思うと、ワクワクした。

 

 

出発の日、親と友達が空港に見送りに来てくれて、友達が泣いてくれた。

私は新品の大きなバックパックを背負って「いってくるね!」と手を振った。

 

 

グァテマラ行きを決めて航空券を旅行代理店へ買いに行ったとき、担当してくれた男性が、いま思い返すと私の後々の人生を決めてくれたと言っても過言でなく、ときどき思い出してはいつかお礼がいいたいな。と思っても、名前も顔も微塵も覚えてない。

 

 

「グァテマラへ行きのチケットをください」と言うと、その担当の男性がカタカタ調べてくれて、

 

「それならアメリカ経由でメキシコに行って、陸路でメキシコからベリーズに入り、それからまた国境を越えてグァテマラへ行くといいよ!」

 

め!

め!

め!

めきしこですか!!??

 

 

危なくないですか?汗(グァテマラへ行こうとしてる人のセリフではない)

 

今まで学生時代にパッケージのツアーガイド付きの海外旅行しかしたことしかなかった私が、英語もスペイン語も分からないというのに、極悪メキシコ(当時の勝手なイメージ)から自力でバスを何日も乗り継いで、国境を渡れというのですかーーーーーーーー!??

 

 

 

 

 

 

「それで行きます!」

 

 

 

 

メキシコなんて微塵も考えてなかったけど、面白いかも。。

やってみよう。

 

 

 

そんな興味のなかったメキシコに初めて降り立ったのが、その後結婚も出産もしたメキシコのカンクンでした。(まだ未来の夫には出会いません)

 

 

飛行機がメキシコに着いた瞬間、メキシコ人にもメキシコ料理にも出会う前に、「なんか知らんけど、この国好きすぎるーーーーー!!!」とめちゃめちゃ興奮したのを今でも覚えてます。

 

そして誰も信じてくれないけど、万年鼻炎でいつもティッシュが欠かせなかった私が、日本より空気の悪そうなメキシコに着いた途端、鼻水がぴたーーーっと止まったのです。

 

 

そして私の初めての一人旅は始まり、3か月間グァテマラに滞在の予定がメキシコやキューバだけであっという間に最初の1か月が過ぎ、慌ててグァテマラに行き、ついでにホンジュラスへ行ってダイビングの免許を取りに行ってみたり。

 

長い長い旅だと思って日本を出てからあっという間に3か月が経ち、日本帰国の為に慌ててメキシコシティへ向かいました。

 

 

あ、書くのを忘れていましたが、両親にはグァテマラへスペイン語の短期留学へ行くと「人生最大の大嘘」をついて日本を出ました。グァテマラに着けば、留学先の学校で紹介されたホストファミリーが空港まで迎えに来てくれるから大丈夫!心配しないで!と。

 

 

え?留学?

グァテマラに行ったとき、飛び込みで1週間ちょっとだけスペイン語教室に通いましたけど。笑

グァテマラはスペイン語教室が多く、安いので海外のバックパッカーたちが旅の途中でスペイン語を気軽に学んでいきます。

私はアンティグアという町に滞在しましたが、とても綺麗な街で過ごしやすく、物価も他国に比べ安くて、また訪れたい街です。

 

 

 

 

 

 日本帰国の為にメキシコシティにいた私は、とある日本人宿に泊まっていました。日本人宿というように海外各地にある日本人だけが泊まれる安宿です。

 

 新人がやってくるとだいたい「どこから来たんですかー」「これからどこ周るんですかー」などのお決まりのセリフから交流が始まったり、シェア飯と呼ばれる、みんなでご飯を作って食べることがあったり、意味もなくずっとその地にいる沈没者(と私は内心呼んでいた)がいたり、

 

メキシコシティ最後の夜も、そんな感じで宿で知り合った人と「明日日本帰国なんですよね。。まだ帰りたくないな・・・。」と話すと、その人は無責任に「別に帰らんでいいやん!」と言い放った。

 

 

 

・・・・

 

 

そんな選択肢もあっていいの?

 

いや、帰りのチケット持ってるし、親にも明日メキシコ出国しますって伝えたし。

 

 

 

 

まぁね、よく考えたら、みんなよく「帰らんでいいやん」って冗談で言うんです。

 

 

 

 

翌日、私はメキシコシティの空港に

 

 

 

 

 

いませんでした。笑

 

 

 

 

私・・・

帰んなかったよ?

これからどうすればいい?メキシコのビザは?帰りのチケットは?親には??!!怒られるーーーー!!!大汗

 

 

 

大きな罪悪感とこれからの心配、

 

 

 

でも、それ以上に、

今まで感じたことのない大きな開放感!!

 

 

 

今は交流がなくても、あのとき私のことを、冗談でも引き留めてくれたその人に今も感謝しています。

 

 

自分の人生、自分で決断していいんだ!

 

 

海外ひとり旅を計画した3か月前にも思わなかった発見でした。

 

 

 

 

でもそれから、観光する気がなくなった私は、いつもまにか宿にいるだけなって(心の中でそういう人のことをそう呼んでた)沈没者なってしまって、あれ?私なにやってるんだろう、とグァテマラで知り合った旅人がコスタリカにいるというので、メキシコから何日もかけてバスでコスタリカまで行きます。

 

グァテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、エルサルバドルなどを走り抜けるバスです。

 

 

コスタリカでは、機会があってジャングルの小屋で電気のない生活を1か月送りました。

 

小屋自体は素敵で見晴らしも最高だけど、日が暮れると本当の闇が訪れる。何も何も見えない。夕ご飯の時間が少し遅れてしまおうなら、ご飯が見えない!

 

ガスはあって料理はできるけど、食材を離れたとこから調達してそれを背負っていかなければいけない。熱帯雨林で過酷・・。

 

ジャングル生活は意外に暇で、相棒が獣道を作るというので嫌々手伝ったり、そのときに凶暴なアリの大群に襲われたり、夜は小屋には窓がないので(窓枠のみでガラスが入ってない)コウモリらしきものが顔スレスレを飛んでいたり、蚊に刺されすぎて暇なので毎日延々と虫刺されの数を油性マジックで印をつけて数えたり、100以上数えれたけど、もう分からなくなった。

 

 

あとは野生のマンゴーを石を投げて落としてみたり(超難関)、雨が降った翌日のマンゴーは熟れてとても美味しそうなのに、野生の猿に先を越されて取られる。そして、猿は一口だけかじって投げ捨てるのを指をくわえてみてた。

 

またバナナの木を切り倒して(巨大でふたりがかり)、幹の皮を剥いて紙(バナナペーパー?)を作ってみたり、

 

そしてバナナの房ってすんごい重いの!!それをひーこらひーこら泣きそうになりながら小屋に持ち帰る。熟すのを楽しみに数日待って皮をむいてみると、見たこともないビービー弾(知ってるかな?)のような固い大きな種がバナナの中に無数もあるバナナで食せなかったり・・。

 

 

そんなことしてジャングルに1か月くらい住んでいました。

 

 

結局、3か月の旅の予定が約1年も経ち、私は日本へ帰国しました。

 

貧乏生活だったのに8キロも太って、風貌も酷かった。笑

 

 

 

 

日本に帰ったけど、

やっぱりメキシコに戻りたいと思っていた私は、

もう旅行じゃなくて、根を張って暮らしたい。

 

でも、そのあとどうするの?日本で就職活動頑張ったほうがよくない?

海外就職?どうやて見つけていいか分からない。

英語もできないし、スペイン語だってほーんの少ししか分からない・・。

 

そんな葛藤と戦いながら3年過ぎました。

 

 

そして、ご縁があり、

メキシコならどこだっていく!つもりだったけど、

 

何とメキシコで最初に降り立った地、「カンクン」にある100%メキシコの旅行会社に就職することがでました。

 

初めての就職先がメキシコで不安も心配もあったけど、

3年もうじうじ悩んで過ごしてきたときにやってきたチャンス。

 

 

また親にも2,3年頑張って、日本帰ってくるから!と言い残して、

 

はや14年目。

 

大好きなメキシコで家庭を持ち、子供にも恵まれ、

興味のなかった海やビーチも、今ではカンクンの美しいカリブ海のそばで暮らせることが嬉しく思います。

 

 

 

すっかり長くなってしまいましたが、

こんな流れでカンクンに流れ着きました。

 

 

これまで何気なく誰かに言ってもらった言葉や、出会った人、いつも支えてくれる両親、自分で決めた判断、訪ねた国や町、いいことも、そのときは良くないと思ったことも、どれもこれもその全てがあっての現在。

 

 

 

ここに感謝の気持ちを忘れないように書き留めておきます。

 

 

 

皆様ともご縁がありますように・・。

 

 

 

 

 

 

Sato Risa